国会では、「桜を見る会」に関して「募る」「募集」の言葉の話が出ている。
そんな話を聞いて、以前読んだ本に(ビジネス本だったような…)「流通」という言葉を「通流」という言葉で使用していたことを思い出した。「募る」は熟語ではありませんが…
日本語には、漢字熟語の組み合わせを逆にしても、意味がさほど変わらない言葉がある。たとえば、「習慣・慣習」「便利・利便」などである。文章を書く際に、どちらかを選択するかで読み手側の受ける印象は変わってくるのではないだろうか。上記の例では、それぞれ後に挙げた単語(慣習・利便)の方から、何となく堅い印象を受けるのは私だけであろうか…。ただ、いくら意味が似ているからと言っても、全て同じ意味という訳ではなく、多少のニュアンスの違いというものはある。
ある言語学者によれば、「この世の中に無駄な言葉は一切ない」ということだ。
つまり、同義語や類義語というものは確かに存在するが、全て同じ意味の言葉は存在しなく、どの言葉もその言葉の持つ固有の意味を有しているということである。
なるほどと思った記憶がある。